5歳で警察沙汰、3年の逃亡生活。絵に描いたワルがヤンキー系ドラマ御用達の不良ファッション専門ショップを立ち上げるまで
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『悪党の店 BIRTHJAPAN(バースジャパン)』(新潟県南魚沼市)という不良ファッションの専門通販サイトで、同店で扱っているアイテム数は、石川智之社長でさえ、「ちょっとわからないですね」というくらい多い。
実は石川さん自身、小学生のころから警察の世話になり、一時期は逃亡生活を続けていたことがある。そんな経歴の持ち主が、不良ファッションの専門通販サイトを立ち上げて順調に売上を延ばし、ヤクザ、ヤンキー映画やドラマの衣装協力を行うまでになった。その過程や、他の追随を許さないオリジナリティをどう確立していったかなど、話を聞いた。
「学生時代は短ランやドカン(土管のような極太のパンツ)を着ていたし、自分がなりたかった理想のヤンキー像みたいなものがあったので、そういうのを目指して売ってみたらいいんじゃないかと思ったんです。商品写真の撮り方や、サイトの店構えも思いっきり悪に振り切ったら面白かったんですよね」
2009年、こうして『悪党の店 BIRTHJAPAN』の原型が誕生することになる。
以下、引用
5歳で警察沙汰、3年の逃亡生活。絵に描いたワルがヤンキー系ドラマ御用達の不良ファッション専門ショップを立ち上げるまで
「ヤクザ、ヤンキー、チンピラ、ゴロツキ、日本中の悪党大歓迎!」「ここは、凡人は秒速で悪党に、悪党は一瞬で極悪人になれるお店です」などといった強烈なキャッチコピーが飛び交い、詰められた指や日本刀を持ったヤクザのイラストが散りばめられ、これでもかというくらい“悪”を強調したウェブサイトがある。 【写真】5歳で警察沙汰を起こして悪事に手を染めまくっていた現在の石川さんはこちら 『悪党の店 BIRTHJAPAN(バースジャパン)』(新潟県南魚沼市)という不良ファッションの専門通販サイトで、同店で扱っているアイテム数は、石川智之社長でさえ、「ちょっとわからないですね」というくらい多い。 実は石川さん自身、小学生のころから警察の世話になり、一時期は逃亡生活を続けていたことがある。そんな経歴の持ち主が、不良ファッションの専門通販サイトを立ち上げて順調に売上を延ばし、ヤクザ、ヤンキー映画やドラマの衣装協力を行うまでになった。その過程や、他の追随を許さないオリジナリティをどう確立していったかなど、話を聞いた。 ◇ ◇ ◇
学生時代からワル目立ち、甘いキャッチコピーに誘われ“悪”の道へ
『悪党の店 BIRTHJAPAN』社長の石川智之さんが、初めて警察の世話になったのは5歳のときのこと。川に農薬を流し、「水質汚濁防止法違反」を犯した。 「小学生のころは、表面上はいい子にしていたつもりだったんですけど、周りから見たらそうじゃなかったようです。何か悪いことがあったら、“どうせまた石川だろ”という感じでした。 荒んだ家庭環境だったというわけではないのですが、親が独善的でうるさい感じで、それに耐えきれずに反発してしまった子どもだったと思います」 あることないことを言われるようになっていたものの、石川さん自身は不良に憧れていたわけではなかったという。 しかし、ケンカや恐喝などに明け暮れ、無免許運転していたバイクで事故を起こしてしまい、入院している間に出席日数が不足して17歳で高校を中退することに。 退学後、何もしないわけにはいかないと手に取ったのは求人情報誌だった。そこに、「中卒でも月収100万円以上可」「企画営業、PR業務。誰でもできる簡単なお仕事です」と記された求人情報を発見する。 「それが、いわゆる新聞拡張員の仕事でした。バカなんで、こういうのにすぐだまされるんですよ。“月収100万以上ってマジかよ?”と思って電話をしてみたら、“いまから来られる?”と。行ってみたら“今日からここに住んで”って言われて、住み込みで働くことになりました」 仕事内容は、個人宅を訪問して新聞購読を持ちかけるというものだが、当然のことながら単なる営業ではなかった。 「いまからお手本見せるから付いてこい、って言われて行ったら、“てめぇ、この野郎!”ってめっちゃ恐喝してるんですよ! でも、その仕事にはすぐになじめましたね」
さらに転がるように悪事に手を染めていった
新聞拡張員の次に、住宅リフォーム会社の営業職に就いた石川さんだが、ここも真っ当な会社ではなかった。ノルマを果たせない社員に殴る蹴るは当たり前。夏場に40℃もある部屋に夜から明け方まで監禁されることもあったという。 「連帯責任で上司と一緒に監禁されるんですけど、だんだん正気を保てなくなって。契約を取って会社に金を持ってこないと帰れないぞ、みたいな雰囲気で、イヤでイヤでしょうがなかったですね」 石川さんは、この会社を辞めた後、坂道を転げ落ちるようにいろいろなことに手を染めることになる。22歳のときに傷害罪で逮捕され、このときはなんとか実刑判決を逃れて執行猶予付きで出られることになった。 しかし、しばらくして別の事件を起こしてしまう。次に逮捕されたら執行猶予が取り消されて実刑を喰らうのは確実。こうして、石川さんの逃亡生活が始まった。 「知り合いのツテで大阪に行き、反社会的な組織に何日かお世話になりました。でも、“これはまずいぞ”ということをいろいろさせられそうになったため、“せっかく面倒見てもらったんですけど、すみません”と言ったらすんなり帰してくれたので、東京に移動してマンガ喫茶を転々として、埼玉のほうで3年くらい生活していました」
更生を決意させた妻との出会い
この逃亡生活を始めたころに、現在の妻となる女性に出会った石川さん。結婚を意識したが、いまのような生活をしていては相手の両親へのあいさつどころではない。なんとかまともな仕事に就きたいと考えたものの、逃亡生活中の身では、働き口を見つけるのも至難の業だ。 「警察から指名手配されていたわけではないんですけど、見つかるとまずいのは間違いない。逃げている立場からすると、どれくらいの規模感で探されているかも見当がつかなかったので、目立つことはしたくない。そんなとき、ネット通販ならいまの自分でもできるんじゃないかと考えました」 そんなとき、ふとネットカフェの棚で見かけたのが、尾崎豊のアルバム『BIRTH』と長渕剛の『JAPAN』。どちらも石川さんが敬愛するアーティストで、今度こそ真っ当な人生を歩もうと誓った石川さんは、会社名を『BIRTHJAPAN』に決めた。2006年のことだった。 とはいえ、当時はまだネット通販が一般的ではなく、石川さんもまずはオークションサイトで商売を始めることにした。 たまたま、近所の某大手スーパー で見かけた靴が、ホストに受けそうなデザインであることに気づき、値段は2足で5000円と格安だった。試しに買ってみてネットオークションに出したところ、すぐに売れた。 「路面店だと数万円くらいはしそうに見える靴だったので、出品したらすぐに売れました。でも、他にいい靴がなかったので、同じ靴をひたすら1年くらい売り続けてたんです。 某大手スーパーでも、200足くらい仕入れるようになってくると、交渉次第で結構安くしてくれたんですよ(笑)。でも、ずっと靴ばかり売っていてもしょうがないので、他の商品も扱おうと考えました」
自身の行動力で商売を軌道に乗せ、“ホストアイテム”がいまの原型に
そこで、日本橋の問屋街に出向いてみたものの、問屋からすれば、ネット通販は実績のうちに入らなかったようで、大半から相手にされなかった。しかし、地道に交渉して少しずつ取引先を増やしていった。 「白いスーツなど、ホスト系のアイテムを中心に販売しはじめました。そのスーツを扱っていた問屋さんが、大きな犬のイラストをあしらった、ヤクザ系に人気の某ブランドなどを扱っていて、“こういうのも扱ってみたら?”ってすすめてくれたんです。 そこで、試しに白いスーツだけでなく、他の派手な柄のスーツも仕入れてみたところ、そこそこ評判がよかったんです」 幼少期から不良を地で行く石川さんにとって、ホスト系よりも不良系ファッションのほうが、自分がよく着ていたこともあり、感覚的に近いものがあった。 “いっそホスト系よりも、ヤンキーやヤクザ系に振り切ってしまったほうが店自体の独自色も出せる”と、考えた石川さんは、大きな方向転換を決意する。 「学生時代は短ランやドカン(土管のような極太のパンツ)を着ていたし、自分がなりたかった理想のヤンキー像みたいなものがあったので、そういうのを目指して売ってみたらいいんじゃないかと思ったんです。商品写真の撮り方や、サイトの店構えも思いっきり悪に振り切ったら面白かったんですよね」 2009年、こうして『悪党の店 BIRTHJAPAN』の原型が誕生することになる。 (取材・文/吉川明子、編集/本間美帆) 【PROFILE】 石川智之(いしかわ・ともゆき) ◎新潟県出身。高校を中退後、大阪~埼玉を渡り歩きながら3年間の逃亡生活を経て、不良ファッションに特化したアパレルショップ『BIRTH JAPAN』を設立。その後、バラエティー番組『月曜から夜ふかし』(日本テレビ系)『阿佐ヶ谷アパートメント』(NHK)などの多数のメディアに取り上げられ、その独特な店構えと自身のこれまでの生き方が話題を呼び、支持されている。
吉川明子
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